歴史

いつの間にか違う本で出て他のね「ウィーン旧市街 とっておきの街歩き」

「ウィーン旅の雑学ノート」という本があります。(絶版)
ガイドブックにはのってない道が紹介されていて楽しい本です。
(実はウィーンの子供用(?)の本にも同じような道がのっていたので、あちらでは、ポピュラーかも)

これを便りにホイリゲにも行きました。
持ってはいるのですが、絶版なので、大事にせねば・・・と破かずに持ち歩きました。
復刊すれば・・・と思っていたんです。

が、しかし、基本的には同じ道の紹介が別な本で写真も新たに(オリジナルは写真はあまりなし)出ているのを知りました。
ああ旅行前に分かっていたら・・・

これからウィーンに行かれる方はお薦めします。

話は違いますが、美術史美術館の工芸部門はずーーーーっとクローズになっているんです。一体いつ再会するんだろうと思っていたら、あるアンティーク店の方から(ウィーンにも仕事で行かれるので)いついつ開くという話ですと伺いました。

もっともいついつ開くと昔、美術館のHPに情報があった時もありましたが、それも今はなく、個人の情報の方があてになるのかもしれないと思いました。
間違っているとマズイのでここには書きません・・・・

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ある意味伝統では「英国王妃物語」

先日、チャールズ皇太子&カミラ夫人(うーん正式な称号が思い出せませんのでご容赦)が来日・・・と思いきや、いつのまにか帰国・・・といった感じでした。

カミラ夫人はある意味本当に「英国の婦人」という感じです。
(時々、カミラ夫人が(どこかの王族出身で)お妃様で、ダイアナさんが、恋人だったら、世間はゆるしたのだろうか?と思ったりしましたが・・・)

でも英国(に限らず)王室といえば、いろいろと恋愛スキャンダル(一番有名なのは、当然、ヘンリー8世だとおもいますが)てんこ盛りですし、チャールズ2世(ダイアナさんのチャールズ2世の庶子(といっても貴族)の血筋を引くとってもイギリスの血の濃い方でした)もまた「メリー・モナーク」と呼ばれて、王妃との間に子供がなかったせいもあって浮き名を流しまくってました。

そんなイギリス史が簡単に分かるのが、この「英国王妃物語」森護(姉妹図書に「英国王と愛人たち」もあります(笑)

英国王家の簡単なガイドも兼ねています(?)

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静御前の歌には本歌があったんだ「吾妻鏡」3 まだまだ続く

「現代語訳 吾妻鏡」 現在3巻まで読みました。4巻は図書館に予約中。
数年がかりで読む事になるのですが・・・

そのために必死に本棚をあけているはずなのに、つい本が増えている(夜中に増殖するということはないのだろうか)

しかし、「歴史書」であり「物語」ではないので、「あれ、この話がない」という事は山のようにあります。巴御前の事が書いてないような気がする(読みおとした?いや、そんなことは・・・)

曾我兄弟の仇討ちはまだまだですが、地元には山のように伝説がありますが、きっとおもいっきり書かれてないんだろうなとも思っています。

今回の発見は、静御前が鶴岡八幡宮で歌った「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」「吉野山 峰の白雪ふみわけて入りにし人のあとぞ恋しき」の歌にそれぞれ本歌があったという事でした。

このシーン自体は、大河ドラマなどの定番シーンではありますが、「そうか、本歌かぁ」と、ちゃんと「吾妻鏡」を読んだ甲斐があったと思いました。

学生の時に研究で詠んだ部分はもっとあとの時代だったのでと言い訳しておきます。

あと数年は楽しめる吾妻鏡なのでした。

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読み終わるのはいつか「現代語訳吾妻鏡」

懐かしさも手伝って、あとやっぱり現代語訳にひかれて「現代語訳 吾妻鏡」を図書館で借りて読んでいます。トータル16巻(18巻だったかな?)なので、出版だけでも3年近くかかるような。
「吾妻鏡」を買いたいと本の整理を試みたりもしているんですが、実家からミステリを引っ越しさせたりして、本棚が全然空きません。
とりあえずまず読んで、それから買うか決めようと読み始めました。

歴史書なので、物語として知っている事とは違うので、「巴御前」が出てこないなぁなどと思ったりしています。
注も充実していて、大変読みやすいので、本棚が空いている方にはお薦めしてしまいます。

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現場100回(ミステリではないんですけどね)

警察ミステリで「現場100回」ってありますが、数年前にそれを実感したことがあります。

伊豆に行ったんです。本当は「いちご狩り」にも魅力があったんですが、私の専攻は「中世鎌倉北条氏」つい三島から「韮山」に行き、「北条氏」の旅をちょっとだけしてしまいました。
「北条」のバス停で嬉々として写真をとるバカでございました。
もっと早く行っていれば良かったと思ったのではありますが。
そこらへん歩いていましたら「堀越御所」跡があり、当然「ほりこし御所」だと(TVの新・八犬伝で「ほりこし」といっていたような)思っていたのですが、地元での地名は「ほりごえ」だったんです。
地名の読み方は変動がある場合もありますし(学校では「ほりこし」と習ったはず)、確実とは言い難いのですが、ためしに色々検索してみると通常は「ほりこし」ですが、地元で「ほりごえ」なので「ほりごえ」ではないかという論もあり、
それ自体はまあ専門家の方にお任せするとして、つくづく「現場100回」(?)を実感したわけです。

あと、自分がかってみ思っています。「実感」として、かつて2月の京都に行き、三十三間堂(スリッパ着用)で足の裏がすごーーーーくつめたくて、そのあと風邪をひいてしまったんですが、鎌倉・伊豆の温暖な地に出身の東夷(母の実家は、由緒正しい東夷でございます。もう思いっきり没落しましたが(爆)、言い伝えでは鎌倉御家人で)には、この京都の寒さは厳しい。京都大番役は勘弁→それが武家政権をつくらせたとまで思ってしまいました。
伊豆に行ったとき、普段はみないような木が生えてまして、(観光用だとしても)、植生が違う?暖かいと実感しました。
伊豆の海をみて、見慣れている「遠浅の海」と違うので、驚きました。
これなら、伊豆と三浦は船の方が速いというのはと実感しました。

私は歴史でものごとを調べるのとはミステリファンにはうってつけだと思っていますので、この話題は一応「ミステリ」に入れてもよいと勝手に思うことにしました。

ちなみに、親が歌舞伎ファンだったせいもあり、「曾我兄弟」(大きな意味では地元?)の話はすごくポピュラーだと思っていたのですが、どうもそうではないらしいことを最近知りました。
かなりローカルらしい・・・・・

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